「綺麗な子ども」を作ろうとする教育はやめたほうがいいと思う

 わかりにくいかもしれませんが.要するに道徳教育的な意味でのことです.

 道徳って,授業として展開するのはすごく難しくて,教員にとっても経験の居ることなんですが,多くの道徳って「〜と答えなければならない」というものが多いのです.もっと言えば,大人が求めている答えを子どもが察知して,本心では決してそうは思っていないんだけれども,大人が喜びそうだし答えとくか,と言う感じ.

 これは本心で理解しているわけではなくて,知識がつくだけであって,大した意味を持たないと思うのです.

 また,喧嘩とか,遊具とか,最近は危険なものをすべて取り払って,子どもが過ごしやすい環境を作ろう!という流れがありますが,そういったものは危険に近づくことでしか本心で理解できないこと.その代替として,誰か大人に言われたり,道徳で習ったり,そういった「本心で理解してない」知識では,大した意味をなさないと思うわけです.

 それに,妙に仲良くしよう,というのもあまり,よろしくない気がします.この世の中は競争の塊だし,時にはよりよい解を導き出すため,怒ることも必要になる.でも道徳とか見てると,基本的には「怒らない.場を乱さない」ことが前提になってて,まあ自分を抑えて仲良くしようよ.という雰囲気が漂っている.

 そうなると,自分をさらけ出すのが難しくなると思うし,怒られることが怖くなると思います.よく今の若いやつは使えないとか,積極的に動かないとか言われてますが,それって,こういう教育方針のせいで,怒られることが怖いとか,場を乱したくないとか,あるんじゃないですかね.いやあくまでも推測ですけどね.

 もっと汚くても,泥臭くてもいいと思う.世の中そんなもんだと思うし.